パリの地下鉄構内での出来事
長男がまだ10歳にいかない頃、
パリの地下鉄構内の物乞いの方を見て
「お金あげなくていいの?」と不安そうに聞いてきました。
「貧しい人たちのためにパパとママはきちんとお金を払っているんだよ」
と当時の私は答えました。
あれから数年経ちますが、
あの時の答えはあれでよかったのかと、
今でも長男の質問を思い出すことがあります。
たまたま読んだ洋書(※)に、
このようなことが書かれていました。
「スーパーの前にいつもいるホームレスの男性に、
今日はたまたまコーヒーを買って差し出した。
数日後、彼が近づいてきてこう言った。
「あの日、あなたがコーヒーをくれなかったら、
もうこの世から消えてなくなろうとしていたんですよ」」
パリの地下鉄をその後も何度も利用しますが、
もう長男は同じ質問をすることはなくなりました
でも今度もしまた聞かれたらこう答えようと思っています。
「あなたはどうしたいと感じるの?」
一番大切な価値基準は「どうしたいと感じるか」
物乞いをビジネスだ、違法だ、と非難する人がいるのと同じように、
寄付をしたいという人があってもいいと思います。
「使途はXXです。その為の寄付を募ります」
とか、
反社会的勢力などと、
事前に分かっているのなら話は別ですが、
私たちが寄付をしたからといって、
私たちが寄付金の使い道まで
干渉する権利があるでしょうか。
荒探しをすればきりがありません。
メディアやインターネットで扱われる情報は、事実が100個あるとして、その内のほんの一部です。
真実なんてわからないということです。
「私は、私のお金を、私の価値基準に照らし合わせて適切だと思ったから、XXに使った。」
で完結していいのではないかと思うのです。
どうしたいと感じるのか、
無理のない範囲の中で答えと行動を出せることを
大切にしたいと感じます。
なぜなら、子どもたちが大きくなる頃には、
そのような価値観が、学歴や職歴と同じか、
きっとそれ以上の価値を持つはずだと思うからです。
あなたが正しいと思えば、それがあなたの正解。
「あなたはどうしたいの?」
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