子育ては時間の無駄?ビジネスに例えて子育てを考える

究極の上司たちと、パリ植物園の有名な桜など、色々な花を見てきました。

子供たちのことを私は時々、
「究極の上司」
と心の中で呼んでいます。

子育てで悩んでいた時に、
「親が子を育てるのではなく、子が親を育てる」
という言葉を知ったのがきっかけだったと思います。

私は幸い何年も生きてきて、事件・事故、天災・人災、色々な出来事に遭ってきたからか、
普段の普通の生活の中に喜びを感じますが、
この先、子どもたちはこの先どう育っていくでしょうか。

たとえば花を見て「綺麗だなぁ」と素直に思える気持ちを、
いつまでもできるだけ長く、
大人になっても持ち続けてくれるでしょうか。
そうなら嬉しいし、そうあれるようにサポートすることが大人としての役目であるように思います。

今年は子どもたちとパリ植物園に桜を見に行くと年初に決めていました。

簡単なように見えて、簡単じゃないこともあります。
パリにいかなきゃいけないし、
電車じゃなく車で行くのが理想だし、
子どもたちの宿題と習い事の都合もあるし、
満開のタイミングがいいし、
晴れている日がいい。

なにより、
私自身が自分との約束を守れるかどうか、
いつも不安と隣りあわせなのです。
自分との約束を守れるか、
自分との約束をないがしろにしないか。

「これから桜を見に行くよー!」
と言うと、休みはたいてい家にいたがる子どもたちから、ブーイング。

「ママは行くと決めたら行くの😤!」
すると、以来、その日は文句が一切起こりませんでした。

大人の私でさえ足が痛くなるくらい歩いたのに、
むしろ笑っておしゃべりしてくれながら最後までよくついてきてくれた帰り道。
ここで子どもたちはおもしろいことに気付かせてくれました。

覚悟を決める、ということです。
自分がやりたくて、きっと誰かのためになるはずと思うことを突き通す、ということです。

夫も一緒に来てくれて、年初に想定していたより充実した家族の時間になりました。

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子育ては時間の無駄?

かつては、育児の時間が無駄だと思っていた時期がありました。
仕事を退職したばかりで、”お給料”のような、他者からの評価基準がなくなって、
自分の価値をどこに求めればいいか戸惑っていた時期でもありました。

ビジネスの場合、
無駄を省くこと、
効率的に行うこと、
成果を早く出すこと、
成果を数字で出すことを求められますが、
育児の場合、その理屈が通りません。

それに気が付いてから、
育児は無駄でなんぼ、
成果は20年先に期待しよう、
と捉えるようになりました。

育児は、仕事のように効率的な時間にするものではなく、無駄な時間を楽しむものである。
育児が無駄な時間かどうかを問うこと自体がナンセンス、と言う考え方です。

やっと片づけた場所が5分後にまた散らかる、
これからご飯を食べる時にテーブルにコップのジュースがこぼれて広がる、
こういう時間の無駄ありきで考えるスタンスです。

育児をビジネスに例えた時、
成果や結果、利益は、育児を行ったもの、つまり親、に還元されるのではなく、
子どもたちに還元される、あるいは、
子どもたちを通じて還元されるのではないかと思います。

この先、子どもたちは、
人生の道草を食って全然構わないし、
むしろ食うくらいが丁度いいんじゃないかと思っています。
道草を食ったとしても軌道修正を取れる大人になってほしい、と思います。

いつか道草を食うことになったとしても、
道草からもう少しマシな道に戻りたいなと思った時に、
今日の時間がわずかでも役に立つように、と思います。
先ほど述べた、成果や結果、と呼ぶ部分のことです。

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